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田口ゼミ:就活トーク、後半の授業模様

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田口卓臣教員のゼミでは、授業最終週に就活トークを開催。 4人のゼミOBが、仕事の合間を縫って駆けつけてくれました! トーク終了後は、高幡不動の居酒屋へ。色々と話に花が咲き、楽しい時間をいただきました。ありがとうございます! 就活トークの様子はこちら。 何気ないやりとりですが、聞いていて大変勉強になります。                                      *      *      *       前期後半の授業模様も、少しだけご紹介します。作者とタイトルを伏せながら、18世紀フランスの古典作品の抜粋を読み進め、翻訳や文法説明、段落の要約などをmanabaに次々にアップしていく作業でした。 皆さん、本当によく頑張りました! Bonnes vacances !! ★これまでのゼミの流れ 田口ゼミ:卒論発表、懇親会 (chuo-bun-futsubun-gobun.blogspot.com) 田口ゼミ:グループで翻訳案を作成 (chuo-bun-futsubun-gobun.blogspot.com) 田口ゼミ:グループで映画を分析 (chuo-bun-futsubun-gobun.blogspot.com) 田口ゼミ:初回授業はワールドカフェで (chuo-bun-futsubun-gobun.blogspot.com) ★ゼミ生の声(昨年度) 田口ゼミ:ゼミ生10名のメッセージ動画をご覧ください。 (chuo-bun-futsubun-gobun.blogspot.com) ★卒論情報(2022年度までの情報) 田口ゼミ:卒論タイトル一覧 (chuo-bun-futsubun-gobun.blogspot.com) →田口ゼミでは、卒論においても、卒業課題研究においても、翻訳課題の提出を一切認めていません。 ★グループワークの雰囲気(記事内に動画があります) 田口ゼミ:グループワークの雰囲気(1) (chuo-bun-futsubun-gobun.blogspot.com)

公開研究会報告:ウェルベックはなにゆえ現代世界を嫌悪するのか?

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  お知らせしてきたとおり 、7月1日(土)、公開研究会「ウェルベックはなにゆえ現代世界を嫌悪するのか?」が開催されました。  発表者は、八木悠允さん(ロレーヌ大学博士後期課程)。どんよりした空模様にもかかわらず、20名の方が参加してくださいました。いくつかの大学の現役学部生や大学院生だけでなく、会社勤めの方たちも、わざわざ週末の時間に駆けつけてくれました。  ありがとうございます!  今回の発表は、現代フランスを代表する作家、ミシェル・ウェルベックの初期3作品に注目し、彼が「現代世界」に対して抱く「嫌悪」の特徴について、跡づけていくものでした。ここでいう初期3作品とは、『 H.P. ラヴクラフト』、『生きてあり続けること』、『幸福の追求』です。 八木さんによれば、これら3作品には、「世界とは、展開された苦しみである」という原理的な認識が流れています。また、そこでは、「現代世界」とは、そうした世界自体の原理的な苦しみを、広告・情報産業や金銭と性愛をめぐる価値体系の画一化等を通じて拡張・強化する場である、という歴史的な認識も垣間見えます。 ウェルベックにおいては、世界の成り立ちと成り行きの双方が、人間の生に絶望的な苦しみをもたらすしかない、と認識されているわけです。そのような認識は、「愛などどこにも存在しない」、「幸福などどこにもない」という身もふたもない発言に、端的に表れています。  では、このような絶望的な世界認識に囚われながら、人はどのようにして「生き延びる」ことができるのか?――これが、ウェルベックが初期3作品で自らに問うていたことです。この問いに対して、ウェルベックが出した「答え」とは、荒涼とした現代世界の苦しみを、一定の形式とポエジーを併せ持つ作品世界として形象化すべし、というものでした。 事実、『 H.P. ラヴクラフト』には、ウェルベックが「作家としてのモデル」に見立てたラヴクラフトの執筆技術論が含まれていますし、『生きてあり続けること』では、「詩」を執筆しながら「生き延びること」の重要性が語られています。また、『幸福の追求』は、ウェルベック自身による「定型詩」の実践をまとめた作品です。  ウェルベックの小説作品に顕著に見られる諸問題(孤独、受苦、ポエジー)は、実のところ、「詩」をめぐる初期作品の考察と実践において既に胚胎していたのでは