公開研究会報告:ウェルベックはなにゆえ現代世界を嫌悪するのか?
お知らせしてきたとおり、7月1日(土)、公開研究会「ウェルベックはなにゆえ現代世界を嫌悪するのか?」が開催されました。
発表者は、八木悠允さん(ロレーヌ大学博士後期課程)。どんよりした空模様にもかかわらず、20名の方が参加してくださいました。いくつかの大学の現役学部生や大学院生だけでなく、会社勤めの方たちも、わざわざ週末の時間に駆けつけてくれました。
ありがとうございます!
今回の発表は、現代フランスを代表する作家、ミシェル・ウェルベックの初期3作品に注目し、彼が「現代世界」に対して抱く「嫌悪」の特徴について、跡づけていくものでした。ここでいう初期3作品とは、『H.P.ラヴクラフト』、『生きてあり続けること』、『幸福の追求』です。
八木さんによれば、これら3作品には、「世界とは、展開された苦しみである」という原理的な認識が流れています。また、そこでは、「現代世界」とは、そうした世界自体の原理的な苦しみを、広告・情報産業や金銭と性愛をめぐる価値体系の画一化等を通じて拡張・強化する場である、という歴史的な認識も垣間見えます。
ウェルベックにおいては、世界の成り立ちと成り行きの双方が、人間の生に絶望的な苦しみをもたらすしかない、と認識されているわけです。そのような認識は、「愛などどこにも存在しない」、「幸福などどこにもない」という身もふたもない発言に、端的に表れています。
では、このような絶望的な世界認識に囚われながら、人はどのようにして「生き延びる」ことができるのか?――これが、ウェルベックが初期3作品で自らに問うていたことです。この問いに対して、ウェルベックが出した「答え」とは、荒涼とした現代世界の苦しみを、一定の形式とポエジーを併せ持つ作品世界として形象化すべし、というものでした。
事実、『H.P.ラヴクラフト』には、ウェルベックが「作家としてのモデル」に見立てたラヴクラフトの執筆技術論が含まれていますし、『生きてあり続けること』では、「詩」を執筆しながら「生き延びること」の重要性が語られています。また、『幸福の追求』は、ウェルベック自身による「定型詩」の実践をまとめた作品です。
ウェルベックの小説作品に顕著に見られる諸問題(孤独、受苦、ポエジー)は、実のところ、「詩」をめぐる初期作品の考察と実践において既に胚胎していたのではないか、ということが、発表全体を通じて示唆されることになりました。
(文責=田口卓臣)
◆参考=オンライン講演会(2023年2月7日開催、2時間15分)
★注
今年度は、すでに以下の講演会も開催されました。
講演会報告:フランスで学芸員になること (chuo-bun-futsubun-gobun.blogspot.com)
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