田口ゼミ:チャレンジしてみたこと(1)
前期ももうすぐ終了です・・・
思えば、昨年度から、授業の方法を変えることにチャレンジしてきました。不器用な授業でしたが、皆さんが文句も言わずについてきてくれたのは、本当に心強い体験でした。(ゼミの皆さん、ありがとうございます!)
田口卓臣教員のゼミでは、以下のような方針で、授業を進めてきました。
1)教室のレイアウトを変える。
毎回、ゼミの皆さんが、授業前に来て、グループワーク用にテーブルを並べ直してくれました。また授業後は、元の定位置にきれいに戻してくれました。(これは本当に、助かりました!)
また、数回に1回のペースで、グループの編成が変わるように工夫しました。一年を通じて、30名近くのゼミ生同士が、全員とじっくり話し合えるようにしたい、と思っています。
2)テクストの読み方を変える。
通常の授業では、最初に「今年度はルソーの『告白』を読みます」、と宣言します。
今年度のゼミでは、誰の、どんなテクストを読んでいるのかを伏せたまま、抜粋を読み始めました。
その際、検索しても分からないように、様々な箇所を「黒塗り」にしました。もちろん、テクストに入る前に、きちんとした場面説明を心がけました。
こうした方法ゆえ、抜粋文は、じっくりと時間をかけて、選び抜いたものでなければなりません。ひとつの段落を読み終えるたびに、様々な展開を示すテクストを見つけてくること――これが、重要なポイントでした。(ちなみに、この抜粋の選出作業を通じて、日頃、教員としての自分が、どれだけテクストと真摯に向き合っているか、問われる体験ともなりました・・・)
一人一人に順番に訳読してもらい、教員がそのつど正解を述べる、という方法を止めました。(もちろん、要所要所で、文法解説は必要です。)
そうではなく、グループ単位で、一つのテクストの解釈を話しあえるような場とし、その話し合ったことを、ゼミ全体にフィードバックしてもらうようにしました。
頭のいい人は、原文を写真撮影し、それをグーグルに落とし込んで「翻訳」させたものを持参します。
そうした手法も、禁止しないことにしました。技術的に可能なことを「抑圧」したり「禁止」したりしても、効果はありません。
むしろ、実際にそうした「素材」も持ち寄った上で、みんなで話し合っていくと、「グーグル翻訳の何が問題なのか」、「そもそも、テクストを読むとはどういうことなのか」が、だんだんリアルに浮上してきます。
ゼミの皆さんが、お互いの話し合いを通じて、自律的にそのことに気づいてくれたのは、とても嬉しい限りでした。
テクストに含まれる矛盾や落とし穴について、数回のグループ・リーディングを通して炙り出した上で、最後に、「抜粋文の中に、タイトルが隠れています。どの単語でしょう?」、「この作品を書いたのは誰でしょう?」、と質問してみました。
なんと7グループ中、5グループが、正解でした!
(つづく)
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