小野ゼミ:2024年度ゼミの内容

 2024年度より、翻訳を提出しても「卒業論文」(8単位)としては認められません! 


小野 潮(おの・うしお)

授業内容

ナポレオンはどのように描き出されてきたか

 

 フランス革命の動乱を経たフランスに、革命の果実を引き継ぎつつ、革命の混乱を収束させる使命を担って登場したのがナポレオン・ボナパルトです。

 コルシカの下級貴族の次男として生まれた彼は、革命を嫌って貴族たちが国外逃亡したフランス軍のなかで頭角を現し、イタリア方面軍の指揮官として目覚ましい活躍をし、次いでエジプト遠征軍の指揮を執り、さらには1799年ブリュメール18日のクーデタによってフランスの政権を握り、第一統領としてフランス政界の頂点に立ちます。

 その後、ナポレオンは、1804年に「フランス人の皇帝」として皇帝位に登り、さらにはオーストリア、プロイセン、ロシアなどの大国を破り、兄のジョゼフをスペイン王、弟のルイをオランダ王、ジェロームをドイツの一部に設立したウェストファーレン王国の王、自分の部下で妹婿のミュラをナポリ王とするなど、ヨーロッパ全域の支配者のような存在になります。

 しかし、スペイン戦役、ロシア戦役に失敗したナポレオンは、連合国軍にパリまで攻め込まれ、1814年に一旦退位します。連合国との協定により、イタリア半島に近いエルバ島の支配を認められて、その島への軟禁状態に置かれますが、自分に代って王位に復帰したブルボン家のルイ18世の国内での人気が高まらず、またナポレオン支配期以後のヨーロッパの姿を定めようとするウィーン会議も各国の利害調整が付かず紛糾するのを見て、フランスに舞い戻り再び高帝位に就きます。

 しかし連合国軍との最終的な戦闘にワーテルローの地で敗れたナポレオンは、イギリスに身柄を確保され、南大西洋の絶海の孤島セント=ヘレナに送られ、その地に6年留まった後、1821年にその地で没します。

 このようなナポレオンの生涯は、その支配期のみならず、没落後もフランス人、ヨーロッパの人々にとって強い印象を与え続け、彼の上昇と失墜のめまぐるしい生涯は、19世紀の青年たちにとって一つのモデルとして機能し続けました。

 この授業では、文学者たちが、ナポレオンの姿をどのように描き出しているかを、「ナポレオン伝説」の出発点とも言うべき、ナポレオンが部下ラス=カーズに口述筆記させた『セント=ヘレナ覚書』、またシャトーブリアン、スタンダール、バルザック、ユーゴ―、ベランジェなどの作品を通して、検証するとともに、アングル、ダヴィッドなどの画家、同時代の風刺画などの画像を通しても見ていきます。

 テキストはコピーで教員が準備します。

 卒論、卒業課題については、文学に取り組もうとする人々を歓迎しますが、広く文化事象を取りあげようとする希望にも、できるだけ広く対応していく予定です。

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